本研究の種と芽生え

本研究会の始まりの経緯は、その当事者の立場によって意味や解釈が異なっています。

例えば、当時まだ修士課程の院生だった前原は、次のように振り返っています。

自身の修論の理論的枠組として、授業研究の文脈や質的研究の文脈において注目されていたバフチンの対話理論を援用することにしたのですが、理論の理解はもちろん、どこから手をつけていいか大変困っていました。そこで、当時前原の指導教員であった森脇をはじめ、教育実践研究のエキスパートである根津、山田、赤木の4名と、それぞれの研究室に所属していた院生3名で、規模は小さいけれども、とても刺激的な研究会が始まりました。そこでは、月1回、バフチンの対話理論や鍵概念の理解、バフチンの対話理論を援用した授業実践分析のレビューなどを行い、対話理論の教育実践分析への援用方法について検討していきました。

その一方で、根津は『PBL事例シナリオ教育で教師を育てる』あとがきにおいて、研究会の始まりの経緯について、次のように紹介しています。

「私たち」は、授業の合間の時間帯に集い、勉強会を開始した。当時は、国立大学法人化にかかる様々な取り組みも落ち着き、第2章で述べたPBL 教育(Problem-based Learning、及びProject-based Learning)の推進も学部全体の取り組みから科学研究費によるグループ研究に移行しつつある時期であった。おそらく、私たちの心の中の「何か」が「研究したい」というエネルギーを生み出したのではないかと思う。(中略)「教室での教師と子どもの対話を伝えたい」「子どもたちの思考のプロセスを伝えたい」「現代的教育課題に悩む卒業生や現職教員の声に耳を傾けたい」など、各自の動機はまちまちではあったが、通底していたのは、「教育実践における対話の輻輳をどのように読み解くのか」あるいは、「対話の多層性をどのように研究的視点で記述するのか」を追求する志ではなかったろうか。私たちがたどり着いたのは、ミハエル・バフチン(1895-1975)の「対話論」であった。

しかし、それぞれの文脈で研究会に参加し、そこで学んだことの先には、バフチンの対話理論を背景とした教員養成課程における教育方法の在り方を模索する、という共通認識が芽生えていました。(前原)